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映画『グリーンランド』を観て感じた違和感──人類滅亡よりも不快だった“自己中心主義”

2025年5月25日

TOMO’Z(トモズ)さん、tackykenさん、kazu777osakaさん、たけたけさん、都良(TORA)さん、ももはなさん、スズキさん、さやさん、いつもスターをありがとうございます。

 

午後のロードショーで放映された「グリーンランド」を観ました。いや、途中まで見て腹が立って電源を切ってしまいました。自然災害、人類滅亡系の小説は好きなのですよ。ただ、映画になるとどれも今一つになるのは、何故なのだろうか?

本作も期待して見始めたのですが、主人公家族のわがままぶりに呆れて、飛行機燃料に引火して爆発したところで、TVの電源を切ってしまいました。アメリカなのかハリウッドなのか、家族愛のためなら、周りの人間はどうでも良いのでしょうか?人種差別が未だに問題になるのは、この手の映画を作る精神性にあるんじゃなかろうか。

 

生成AIにも、聞いてみました。

本文開始

2020年に公開されたディザスター映画『Greenland -地球最後の2日間-』。
世界的な大災害の中で、一組の家族が生き残りをかけて奔走するサバイバル劇として話題を呼びました。

しかし私はこの映画を、正直なところ「近年まれに見る残念な作品」と感じました。
その理由は、ストーリー展開や映像表現ではなく、登場人物の精神性、つまり“人間としてのあり方”に大きな違和感を覚えたからです。


■ あらすじと「家族至上主義」の強調

地球に彗星が衝突する――人類滅亡の危機が迫る中、主人公一家は政府の避難対象者として選ばれます。
しかし、息子が持病を抱えていることが判明し、避難便の搭乗を拒否されてしまう。そこから始まる、家族での過酷な避難劇。

この設定自体は、よくあるディザスター映画の構造です。
ですが、物語が進むにつれて明らかになるのは、です。

他人の車を奪う、暴力を用いる、ルールを無視する。
そうしてでも家族だけは助かろうとする姿は、どこか美談として描かれていますが、私はまったく共感できませんでした。


日本には、「困ったときはお互い様」「弱い人を優先する」という価値観があります。
たとえば、病気の子どもが避難できないのなら、その枠を他の家族に譲る。そんな思いやりが自然に根づいています。

一方、この映画に描かれるのは、「自分と家族の命こそ最優先であり、他人の事情には関知しない」という態度です。

これはアメリカ的な個人主義、あるいは“家族至上主義”とも言えるかもしれませんが、公共心や協力といった価値観がまるで存在しない世界に見えてしまいました。


■ 「リアルな人間ドラマ」への疑問

一部のレビューでは、この作品を「リアルな人間の弱さを描いた傑作」と評価する声もあります。
確かに、極限状態に置かれた人間がどのように行動するかを描いているという意味では、一つのリアリズムかもしれません。

しかし、私にはそれが「ただのエゴの肯定」に見えてしまいました。
極限状態だからこそ、人間としての品格や優しさが試されるはずです。


■ 映画に求めるのはエンタメだけではない

ディザスター映画は、単に「映像の派手さ」や「サバイバルのスリル」を楽しむだけでなく、「自分だったらどうするか?」を考えるきっかけにもなります。

『Greenland』はその点で、観る者に不快感や虚しさだけを残した作品でした。
彗星よりも恐ろしかったのは、人間の精神性の崩壊かもしれません。


■ まとめ:人類滅亡の前に、人間性が滅びていた

この映画が描いたのは、人類の終末ではなく、人間としての連帯や信頼が崩れた世界でした。

倫理観や思いやりが欠けた中で、たった一つの家族だけが助かろうとする物語を、
「感動」として受け入れることは、私にはできませんでした。

 

映画の俳優と似ているような似ていないような

 

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