定年後の人生:自由と退屈の狭間で(一日一新を目指します)

定年後の生活のリアルな姿を伝える(近況報告)

桜の季節に思う。若さは未熟ではない。時に“完成しすぎる”──伊勢正三『ささやかなこの人生』を読む

2026年4月7日

昨晩からの強い風と今日の雨で、今年の桜もかなり散ってしまうでしょう。個人的には桜吹雪は好きです(吹雪も嫌いじゃない)。

この時期、直ぐに思い浮かぶ曲があります。昨年も書きましたが、kazeのささやかなこの人生です。


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20代のときに書かれた歌詞とは思えないですね。現在の私(63歳)の感じ方では、人生の最晩年に若かりし頃を思い出して、ベッドの上で涙ぐむんじゃ無いかと思います。いろいろとあったけど、まあ良く生きたよな、自分、みたいな。

 

現在、伊勢正三さんは74歳。来年は後期高齢者の仲間入り。どんな思いなのかなぁ。返歌で歌を作ったりしないのかしら?

 

このような自分の考えや思いを生成AIとキャッチボールするのは楽しいよね。生成AIがまとめたのは、こちら。

 

本文開始

人は歳を重ねて、ようやく人生が分かる。
そんな前提を、あっさり裏切る歌がある。

伊勢正三が20代で書いた『ささやかなこの人生』だ。

歌詞は、まるで人生の終盤に立っている人間のようだ。
愛は人を傷つけ、取り返しのつかないものに気づかせる。
振り返るな、涙は夕焼けに流せばいい。
そして最後には、人生を「喜び」や「悲しみ」といった言葉で決めるな、と締めくくる。

20代が書いたとは思えない。
そう感じるのは自然だ。

だが、ここで少し立ち止まりたい。
本当にこれは「老成」なのだろうか。

むしろ逆ではないか。
若さとは、ときに“完成しすぎる”状態なのではないか。

人は若いとき、ひとつの恋で世界のすべてが変わる。
いや、変わったように感じる。
小さな出来事に心が揺れ、失った瞬間に、人生そのものが取り返しのつかないものになったように思える。

それは未熟なのではない。
むしろ、過剰なのだ。

人生を、まだ切り分けることができない。
仕事も、家庭も、老いも、まだ知らない。
だから、目の前の出来事が、そのまま人生の全体になる。

その瞬間、人は「すべてを理解したような気持ち」になる。
まるで、もう振り返る必要のない地点に立ったかのように。

だが実際には、その後も人生は続く。
何度もやり直し、何度も忘れ、また同じように心を動かされる。

それでも不思議なことに、あのとき感じた「終わりの感覚」だけは、嘘ではない。
確かにそこにあった、本物の感情だ。

『ささやかなこの人生』は、その瞬間をすくい取っている。

だからこの歌は、若さの歌でありながら、老いの歌でもある。
あるいは、人生のどこか一瞬を切り取った標本のようなものかもしれない。

そして最後にこう言う。

人生を、言葉で決めるな。

喜びだったのか、悲しみだったのか。
成功だったのか、失敗だったのか。
そんな分類に収めてしまえば、あまりにも薄っぺらい。

あのとき確かに感じたもの。
それだけが、残ればいい。

若さは未熟ではない。
ただ、ときどき完成しすぎてしまうだけだ。

 

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