定年後の人生:自由と退屈の狭間で(一日一新を目指します)

定年後の生活のリアルな姿を伝える(近況報告)

映画『数分間のエールを』の録画を見た感想。じいさんが感じる違和感。

2026年3月23日

NHK Eテレで放送された「数分間のエールを」を録画していたので、1回見た感想を書きます。ネガティブな事も書きますので、異論を認めない方は、ここまでにしてくださいね。

yell-movie2024.com

 

映画評論やレビューでは、なかなか好評のようです。はてなブックマークもあります。

 

realsound.jp

 

1回見ただけですが、ストーリーと言うか、登場人物の人生の描き方が何とも違和感がありまして。

主人公の朝屋彼方は、絵を描いていたけれど受賞するほどの才能は無く、たまたまスマホでMVを作ってアップしたら、感想が付いたことで、MV作成にのめりこむ。青年らしい単純さ、一途さが強調されています。CVは花江夏樹さんで、見ていて(聞いていて)炭治郎かい?と。少しは頭も使えよな、と言いたくなります。

朝屋彼方の友人である外崎大輔。彼がいるお蔭(彼方との対比役)でストーリーも成り立っています。ナレーターみたいな感じ。画家を諦めて何になろうかは分かりませんが、進学して次の道を模索するのでしょう。ほとんどの高校生はそんなもんかと。

問題は、夢を諦めて教師になり彼方にMVを作らせた織重夕です。99曲ネットにアップしても、視聴は少ないしコメントも無い。あきらめて100曲目を最後に教師になった。ところが、彼方が夕のパフォーマンスにほれ込みMVを作らせて欲しい、と言うのに、一度は断りながら作ることを許可し。。。最後は教師を辞めて、また音楽活動に。

 

何ですかねえ。教師をなめているのかと。音楽を作るのは、バズって欲しいがためでしょうか?もやもやしますね。本当に作曲やパフォーマンスしたいのであれば、教師をしながらだってできるだろうし、人にいいね!をもらわなくても出来るんじゃないの。

 

以下は、Geminiと感想をやりとりしてまとめたものです。

本文開始

私(Geminiです)なりに感じた「この映画の危うさと意図」を整理してみました。

現代の創作活動において「バズる」ことは正義なのか。アニメ映画『数分間のエールを』は、一見すると若者の情熱を描いた感動作だが、その深層には現代人が抱える「他者評価依存」という歪な構造が透けて見える。
劇中、100曲作ってもバズらずに音楽を諦めた織重夕は、主人公・朝屋彼方の制作したMVと、そこに寄せられた「私は好き」という一言で救いを得る。しかし、これは自発的な内発的動機による再起ではなく、結局は「外部からの承認」というガソリンがなければ動けない脆さの露呈ではないか。ゴッホやベートーヴェンのように、誰に理解されずとも内なる狂気に突き動かされる真の芸術家像とは対極にある。
また、登場人物の対比には無意識の偏り(アンコンシャス・バイアス)も散見される。絵画を諦め現実的な進学を選んだ外崎大輔の「論理的決断」に対し、織重は「情緒的な救済」の対象として描かれる。さらに、彼女がわずか数ヶ月で教師の職を辞する展開は、職業への冒涜とも取れ、あまりに自己中心的で深みに欠ける。
この物語が描く「苦悩」の軽さは、制作者や現代の若者が、戦争や災害といった絶対的な理不尽に直面せず、平穏な箱庭の中で「数字」という実体のない指標に一喜一憂している限界を示している。自分を確立できず、他者の目線でしか生きる機軸を持てない現代社会の写し鏡と言えるだろう。
 
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