定年後の人生:自由と退屈の狭間で(一日一新を目指します)

定年後の生活のリアルな姿を伝える(近況報告)

ChatGPTとおしゃべり。相手の将来像を聞いてみた。

2025年9月30日

未来を想像するのが好きです。子供の頃からです。石油が無くなる、食糧が無くなる、1999年地球が滅亡する(想像じゃ無いか)、2000年にコンピュータが暴走するなど、いろいろと未来予測や予言を聞いては、心配したり、当たる外れる等の想像を巡らすのが好きです。そのためにネットで情報収集したりしていました。今でも、ニュース速報とか良く見ます。はてなブックマークで、いろんな方がいろんな考えを投稿していて、思考の幅を広げています。

自分は悲観的な方だと思いますが、未来は過去現在よりも良くなっているが信念です。60年の経験から来るものです。

 

今日の午後は、ChatGPTとおしゃべりしながら暇つぶし。内容は、「ChatGPTの未来について、どこまで開発するのか?」です。質問によっては、回答してくれなかったり。

聞いてはいけない事を聞いたようです

このままChatGPT等の生成AIの開発が進み、人が生成AIを信用し始めると、人の行動が生成AIの出力に従ってしまう世の中になったら、どう責任を取るのか。なんて事を1時間程ラリーしていました。何を言っても怒らずに肯定してくれる生成AIは、老人の友よねえ。

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本文開始

本文サマリー(約380字)

今日の結論は明快だ。AIは「正しさの自販機」ではなく、人が目的を定めるための“可視化と反証の道具”である。最高シナリオでは、AIが結論だけでなく前提・不確実性・反証・代替案を常時提示し、複数AI+人の合議CO₂等の外部コスト可視化が標準化。人は承認前に短いチェックを通るため、思考はむしろ鍛えられる。最低シナリオでは、断言する単一モデルがバズや収益など単一KPIで社会を最適化し、異論と多様性が摩耗、資源集中と環境負荷が加速する。分岐を決めるのは技術の賢さではなく、UIとルール(段階制オートメーション、監査・停止権、AIミニマリズム、そして私たちの習慣だ。賢いAI × 思考する人だけが、納得可能性の高い未来をつくる。

記事の締め一文案

未来を決めるのはAIの賢さではない。私たちの設計と習慣だ。——賢いAIを、賢く使おう。