定年後の人生:自由と退屈の狭間で(一日一新を目指します)

定年後の生活のリアルな姿を伝える(近況報告)

【新年の墓参り】—「故人との対話」が心を整える時間

2025年1月4日

古田靖志さん、おじさんさん、ももはなさん、島猫V2さん、都良(TORA)さん、にゃおゆきさん、いつもスターをありがとうございます。

 

年末年始にルーティンと言えば、年末に帰省し実家の掃除をして、1日に南関東に戻る。あとは、高校の部活仲間の墓参り。これが私の年末年始のお決まりです。

今年は、5日まで世間はお休みなので、今日、墓参りに行ってきました。3分ほどのお参りのために、往復4時間近くの移動。無駄だなと思いつつも、止められないんだな。

 

40代で亡くなってしまい、お墓の場所だけは教えてもらえたけど、それ以外は何も分からない。何故亡くなったのか、どんな送りかたをしたのか、何か言い残していなかったのか。本当に何も分からない。墓の前で自問自答する。それが一年の始まりの行動。何も答えてくれないけど、今は良い時代になったよ、と伝えたいね。

 

生成AIにも書いてもらいました。

本文開始

正月は、何かを始めるタイミングとされていますが、私は毎年、新年の行事として「墓参り」をします。
初詣に行く人が多い中、静かな霊園を訪れるのは少々ひねくれているようにも思えます。でも、これが意外と自分には合っているんです。


なぜ正月に墓参りをするのか?

正月といえば神社や寺に参拝して「今年も健康でいられますように」とお願いするのが一般的。でも墓参りはどちらかというと、「自分の過去と向き合う」行為に近い気がします。

神社では未来を願い、墓前では過去を振り返る。
その両方があると、ちょうどバランスが取れるんじゃないでしょうか。


墓の前で何を思う?

墓参りで私が考えるのは、故人に「今の自分」を報告することです。
「去年はこうだった」「今年はこんなことを考えている」と、心の中で独り言のように語りかけます。

故人から返事はありませんが、不思議と自分の考えが整理されるんですよね。墓前に立つと、自分の小さな悩みがいかにちっぽけか、よくわかるんです。

たとえば、去年の失敗を報告しながら気づくのは、
「まぁ、そんなに大したことじゃないか」とか、
「もっと頑張ればいいんだな」というシンプルな結論。


墓参りは"自分の原点"を思い出す時間

墓は、自分のルーツが眠る場所。
そこに立つことで、「自分は何のために生きているのか?」という原点を、無理なく考えさせられます。

最近の世の中は、SNSだのトレンドだの、どうしても外の情報に引っ張られがち。でも、墓参りは自分の内面を見つめる時間です。
人が多い神社とは違い、誰もいない静かな霊園で風に吹かれながらぼんやりと考える。これが新年の私のルーティンになっています。


皮肉なまとめ:未来だけではなく、過去も大事

日本では「未来」を重視する文化が強いです。新年には願掛けをして、「これからのこと」を考える。でも、墓参りのように過去を振り返る時間も大切です。

正月に墓参りをすると、なんとなく「一年間、頑張ろう」と思えますし、自分の悩みも少し軽くなる
墓の前で手を合わせるのは、故人のためというより、結局は自分のためなんでしょうね。

新年、華やかな行事ばかりが目立つ中で、「静かな墓参り」も悪くないですよ。

 

冬の霊園で、静かに祈る男性の姿が描かれた、穏やかな雰囲気の一枚です。だって。バタ臭いね。

先祖の墓は北海道で雪の下ですな。冬に墓参りはしないわ、北海道は。

 

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