定年後の人生:自由と退屈の狭間で(一日一新を目指します)

定年後の生活のリアルな姿を伝える(近況報告)

お節料理のダジャレは、もうお腹いっぱい?—毎年繰り返される“オヤジギャグ”問題

2025年1月3日

ももはなさん、スズキさん、都良(TORA)さん、島猫V2さん、キシタクおじさんさん、おじゃみさん、kodemarixさん、さやさん、島猫V2さん、さやさん、いつもスターをありがとうございます。

 

私がへそまがりの屁理屈こき(昨年、亡くなった父親から言われていました)のせいか、どうも行事やそれに伴う決まりきったしきたりのようなものは、疑ってかかって辞めたい性格です。

 

正月と言えば、おせち料理ですけれど、本当に無意味だな、と。

御節料理 - Wikipedia

 

重箱の中の料理も、ほとんどがダジャレですよね。ダジャレを本気でありがたがりますか、日常で。正月でめでたいから良いの???

 

ダジャレだったら、こんなのでも良い訳ですよね。

  • 「めでたい」の語呂合わせで、鯛 → 世界的にめでたいパッタイ。東南アジアでもいける。
  • 子孫繁栄を願って、数の子(ニシン) → 卵の数ならタラの方が多いのでタラコ。名称を多垃子にでもすれば良いんじゃない。イクラもいいな。良蔵とか当て字でどう?
  • 五穀豊穣の肥料で、田作り → 肥料なのでから、何でもOKでは?コーヒーなんかどう?
  • 紅白の色は縁起がよい、かまぼこ → 紅白で良いなら、イチゴ大福がいいね
  • 「喜ぶ」の語呂合わせで、こぶまき → 健康を考えてこぶサラダをお勧め。

まあ、暇な正月の洒落だな(洒落かい?)

1日も2日も夜はカレーだったけどな。

 

生成AIにも書いてもらいました。

本文開始

正月が近づくと、どこからともなく現れるのがお節料理のダジャレだ。

エビのように曲がるまで長生きしましょう」とか、「黒豆でまめまめしく働く一年に」なんて、毎年ほぼ同じセリフを聞かされる。親戚の集まりでも、テレビの特番でも、何ならスーパーのPOP広告でも繰り返される。これ、もういい加減飽きませんか?


🦐 お節の“ダジャレ”は必要か?

そもそもお節料理って、ダジャレを言うためのものじゃない。
**「縁起物」**としてそれぞれの食材に意味があるのだ。

  • 黒豆 → 「まめまめしく働く」
  • 数の子 → 「子孫繁栄」
  • 田作り → 「豊作祈願」

由来はわかるし、意味も立派だ。でも、いちいち語呂合わせにして笑いを取ろうとするのが、どうにも腑に落ちない。なぜなら、ほとんどの場合、聞いている方は笑っていないからだ。


🎙 ダジャレが日本の文化だって?本当か?

「ダジャレは日本の文化だから」と言う人もいる。確かに、日本人は昔から言葉遊びが大好きだ。古くは俳句川柳にも、言葉の掛け合いや洒落が見られる。

でも、お節料理のダジャレは、そこまで文化的か?
むしろ、あの手のダジャレは「昭和の営業マン」の遺産に思えてならない。
要するに、「寒いギャグを無理にでもぶち込んで場を和ませようとする」精神だ。


🍶 お正月には、もっと“本音”で語ろう

本音を言うと、正月に必要なのはダジャレじゃなくて素直な言葉だ。
「今年もよろしくお願いします」「健康で過ごせますように」。これで十分じゃないか。

お節料理にまつわるダジャレは、場を和ませるつもりかもしれないが、時に逆効果だ。正月早々、気まずい沈黙が訪れるのもよくある話。むしろ、静かに酒を酌み交わしながら、ぽつりぽつりと語る方が粋だと思う。


🍤 まとめ:ダジャレは、卒業しよう

お節料理に込められた縁起は大事にしつつ、無理なダジャレはもうやめませんか?
「エビのように曲がる」よりも、「まっすぐ気持ちを伝える」方が、よほど大切だ。

さあ、今年のお正月は、ダジャレ卒業宣言しようじゃないか。


 

 

お正月の和室で、おじいさんがダジャレを披露し、家族が微妙な表情をしている場面です。ブログの雰囲気にぴったりのイメージになっていますね。😊だってさ。男の帯はあり得ないわ。

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