定年後の人生:自由と退屈の狭間で(一日一新を目指します)

定年後の生活のリアルな姿を伝える(近況報告)

猫と過ごす静かな時間――還暦オジイさんの川辺のひととき?を眺める私

2024年12月16日

ももはなさん、遥かなたさん、kodemarixさん、(み)さん、島猫V2さん、ユリノキさん、おじゃみさん、都良(TORA)さん、ユリノキさん、nikki9さん、いつもスターをありがとうございます。

 

猫と老人。心惹かれてつい撮影。

川辺を散歩していたら、何とも興味深い情景が。。。いいなあ、猫と老人。きっと魚が釣れたら猫にあげるんだろうなあ。猫に頼られる老人男性。何か持ちつ持たれつって感じ。無責任にえさを上げないでください、って看板もあるけどさ。

 

一応、生成AIに日記を書かせました。お題は「この写真(上)でブログを作って」です。写真に写っている老人が、私になっているのね。どうやって、自分でこんな写真を撮るのよ?分かっていない奴だな。魚釣りはするのよ、自分のためにと言う建前で。でも、釣った魚は猫が勝手に持っていくのよ。猫にエサは上げていないけど、結果的に猫の腹が満たさせると。そこに信頼関係があるんだけどなあ。分かっていないなぁ。どうも、自我が強いね、生成AIは。

 

本文開始

「61歳、暇なオジイさん」と言うと、なんだか毎日が退屈そうに聞こえるかもしれないが、それは少し違う。暇とは「何もしない時間がある」ことではなく、「何をしてもいい時間がある」ことだ、と最近気づいた。特に誰もいない川辺にぽつんと座り、猫と時間を共有する時、ふとその考えが頭をよぎる。

今日は、そんな「何をしてもいい時間」の話だ。


釣りでもしそうな川辺のオジイさん

この間、近くの川へ散歩に出かけた。冬の冷たい風が肌を刺すが、こういう季節のほうが人は少なくていい。静かな川の水面を見つめながら、「今、俺は誰とも話さず、ただ川と猫に囲まれている」と、妙に満たされた気分になる。写真の通り、キャップを目深に被り、風を避けるように体を丸めて座る。別に魚を釣るわけでもなく、ただ無言のまま。

川べりには、ふと現れる小さな来客――猫だ。人懐っこいのか、魚を狙っているのか知らないが、奴らは時折こちらに視線をくれる。そんな猫と一緒にいると、これまた不思議と心が落ち着く。


猫という生き物の自由さ

猫というのは、実に「自由」な生き物だ。飼い主がいようがいまいが、気分次第でその場にいる。自分が満足すればサッと去っていく。人間の社会は、そんな自由を許さないが、猫にはそれが許される。

「自由」を求めて会社を辞めた友人がいるが、その自由も結局「次に何をするか」という不自由に縛られていた。一方、猫は何も縛られない。去るも留まるも、すべて気まぐれ。見ていると「人間の自由とは何だろう?」なんて哲学的なことも考えさせられる。


暇人のように見える時間の贅沢

61歳の俺が川辺で何をしているのか、誰かが見たらこう思うだろう。「暇そうだな」と。だが、暇とは必ずしも悪いものじゃない。こんな静かな時間を持てることこそ、大いなる贅沢だ。

仕事に追われる時代が終わり、やっと手に入れた「無駄な時間」。猫と一緒に無言で過ごす時間は、言ってしまえば「無」。だが、この「無」こそが忙しい時には決して得られないものだ。


まとめ――川と猫に教えられること

結局、人間は静かに何かを見つめる時間が必要だ。それがたとえ川の水面でも、そこに偶然居合わせた猫でもいい。人生の教訓なんて大それたものはないが、「ただ何もしない贅沢」を知ることが、暇なオジイさんの特権なのかもしれない。

さて、今日もこの猫は気まぐれに去っていく。俺も帰るとしよう。


ブログのイメージ画像です。静かな川辺で過ごす、穏やかな時間が感じられる雰囲気に仕上がっています。だってさ。上の写真と全く違うのだけどね。

ブログランキングに参加してみました。 クリックしていただけると嬉しいです。

にほんブログ村 その他生活ブログ FIRE(無職・フリーター)へ
にほんブログ村 その他日記ブログ 60代男性日記へ
PVアクセスランキング にほんブログ村